①では、ロマ児童の「学級隔離」事例について、欧州人権裁判所の諸判決から間接差別と認定されたものについて整理した。欧州人権裁判所の判決は、個別のロマ児童が置かれた状況にかかわる判断であるとともに、ロマの人々が置かれるより広い社会環境・構造の問題を重視する判断であったと言える。だからこそ、間接差別という判定がなされた。
しかし、そもそもなぜ「学級隔離」のような事態が発生するのか。本稿では、欧州において一般的にロマの人々が置かれている社会環境と、その状況が教育現場の役割および実態にどのように反映されるのかという点を概観する。
ロマ児童の就学/修了率の低さ
まず、2007年に欧州人権裁判所のDH判決が出される以前から、欧州審議会やOSCEなどの国際機関や、ロマ支援を行う国際NGO(ERRC)などが、ロマの「学級隔離」を問題として取り上げていた。ただし、その背景にあったのは、ロマ児童が教育課程に十分に統合されていないという問題認識であった。つまり、ロマの子どもが最初から小学校に就学していなかったり、就学しても卒業する前に中退してしまう割合が、他のエスニシティに属する子どもに比べて非常に高いのである。例えば、国際イニシアティヴ「ロマ包摂の十年」の中で実施された中東欧・南東欧諸国での調査では、2014年時点の統計でロマ児童の初等教育修了率は、いずれも非ロマ児童に比較して10%以上低い。国によっては半分以下の地域もある。また、初等教育を修了できなければ中等教育に進学することもできず、教育レベルが高くなるほどロマ学生の就学率は低くなる。
(出展:Kushen 2015より筆者作成)
その理由は様々であり、例えば就学できない理由として、そもそも市民権を持たない、無国籍のロマ児童が一定数いる(※1)。また、両親が就学を望まないケースもある。その理由として、非ロマの教育とロマの教育の方法/基準が異なる、教育課程を修了しても就労へつながらない、主流社会の文化的慣習を身につけることでロマ社会から浮いてしまう、主流社会の中に入っていくことで差別の対象とされる、などが言及されてきた。両親が学校で経験したことを、子どもには経験させたくないという場合もある。また、学校へ行かずに、小さい妹弟の面倒を見たり、労働に駆り出されるケースもある。さらに、女性のロマ児童の場合、早婚で学校へ行かせてもらえなくなるという問題も存在する。また、中退してしまう理由としては、言語が分からず授業についていけない、最低限の読み書きや計算を習得するだけで十分、学校生活に馴染めない、家庭の仕事が忙しい、同級生や教員から差別されるなどの理由があげられる。(Hancock 2013, 91-93; Kaleja 2014, 133−135; Babić 2012, 105)
※1 中東欧・南東欧地域では、ほとんどのロマの人々は定住しており、無国籍になる理由としては出生届が提出/受理されない、国家の分離独立に伴い親が国籍を失い次世代に受け継がれてしまうケースなどがある。
ロマ社会と主流社会の相互不信
ここには、2つの問題が反映されている。1つは主流社会とロマ社会の間での不信、蔑視、敵意、およびそれを裏付ける/反映する文化的分断である。
ロマの人々は欧州全体に推定で600万〜1600万人居住しているとされる(Council of Europe 2012)が、一般的にロマの人々に対する社会の視線は冷たい。例えば、Pew Research Centerが2015~16年にかけて東欧地域、中央アジア地域で行ったアンケート調査には、「ロマを家族、隣人、市民として受け入れるか否か」という質問項目が設けられた。
(出展:Pew Research Center 2016より筆者作成)
前稿で取り上げた「学級隔離」が起きたチェコ、ギリシャ、クロアチアでの「ロマを隣人として受け入れるか」という質問に対する回答を見ると、最もポジティヴなクロアチアでも4人に1人が受け入れないと回答し、ギリシャでは半数近く、チェコでは7割近い回答者が受け入れないとしている。調査が行われた全地域でも、46.8%の人はロマを隣人として受け入れないと回答し、受け入れるとした人々を上回っている。
自分が住んでいる近所にロマの人々がいてほしくないと考える感覚が一般的な社会では、ロマ児童を非ロマの児童から引き離す「学級隔離」が起こることは不思議ではないだろう。ギリシャとクロアチアで起こった非ロマ児童の保護者による「学級隔離」の要求とロマ児童の通学妨害などの活動では、ロマ児童の「学習スピードが遅く、怠惰で、暴力的で、不衛生」であるために他の児童が悪影響を受けるといったことが主張されていた。これは、一面ではロマ児童が育つ社会と主流社会の現実の齟齬であり、他面では社会のロマに対する「怠惰、犯罪者、協調性の欠如」といった文化決定論的な偏見をそのまま反映している。
こうした社会環境では、仮にどれだけ高水準の教育を受けたとしても、教育課程のみならず、それを修了した後の社会でも差別を受けることは想像に難くない。2011年にクロアチアでロマを対象に行われた聞き取り調査では、公教育に対しての姿勢は必ずしもネガティヴではなかった。その反面、教育が雇用につながるかという質問には、やる気があっても資格を持っていても、端的にロマであることを理由に就職を断られるとして、否定的な回答が出ている(Babić 2012, 106)。
ロマ社会の側からの主流社会に対する不信も強い。例えば、ロマの保護者が教育機関を含めた公的機関を信用していない場合もある。学校システムやそこでの経験が子どもの自由な発達を阻害するものであり、なおかつ子どもを学校へ送ることは、当局がロマ・コミュニティを監視・介入する理由付けになるという感覚を持っている場合もある(Hancock 2013, 91)。公的機関に対する不信・恐怖は根がないものではなく、第二次世界大戦中の欧州では、当局にロマとして登録されることが、多くの場合に収容所への移送と死を意味していた。現代においては、警察がロマに対して「犯罪者」というバイアスを有しているケースは多く、逆にロマの側からの警察に対する不信感にもつながっている(Hera 2017, 398-402)。
イアン・ハンコックは、ロマの人々が歴史的に追放や奴隷化などの手段で主流社会から排除され続けたことによって、独自の文化や生活様式を育むことになり、そのことが余計に主流社会との断絶を深めるという負の連鎖を生んできたことを指摘する(ハンコック 2005、189-196)。つまり、ロマ社会の側には歴史的に迫害の対象とされ続けてきたことによる、公的機関や市民社会に対する根深い不信が、非ロマの人々に対する文化的隔絶や公教育に対する忌避感として具体化されるほど積み上げられてきた。それを唐突な敵意として受け取る主流社会の側では、ロマに対する排斥的な姿勢が生まれる。ロマの社会統合という課題の根底には、こうした構図が存在する。
ロマと貧困の問題
では、「ロマの社会統合」とは現代欧州で何を意味するのか。ここで、ロマ児童が就学できないもう1つの理由、すなわち経済的な貧困の問題が浮上してくる。前述の「ロマ包摂の十年」で実施された調査では、2014年時点での中東欧・南東欧諸国のロマの人々の失業率は、非ロマの人々に比べて一定して高い。ロマ児童の就学率の低さは、差別や文化的齟齬だけではなく、家計が苦しいために児童が家事労働を手伝わなければいけないケースが多いことも反映されている。経済的な貧困があり、ロマの人々に対する偏見によってなかなか仕事が見つからず、子どもも含めて家計を支え、教育を受ける機会を子どもが奪われることで、世代間で貧困が継承されてしまう。
(出展:Kushen 2015より筆者作成)
また、貧困は怪我や病気を負った際に医療機関で受診することに二の足を踏ませる(※2)。さらに、貧困は一家が劣悪な住居環境で暮らすことを余儀なくさせる(※3)。そして貧困は失業率の高さの問題でもある。こうしたことから、1990年代以降の欧州でのロマ統合政策では、教育、雇用、保健、住居という4つを重点的な分野として、状況を改善することが目的にされてきた。それは例えば2011年に欧州委員会がEU加盟国に対して布告した、「2020年までのロマ統合国家戦略のためのEU枠組み」にもあらわれている。この文書では、教育、雇用、保健、住居へのアクセスがロマ統合の鍵であるとして、加盟国に統合のための国家戦略を策定するように要求している(※4)。ここで教育は、ロマが貧困から抜け出し社会に統合されていくための、最も重要な分野として位置づけられている。
※2 市民権を持たないために健康保険を受けられないケースもある。
※3 ロマ社会の文化的慣習によって、通常の家屋とは異なった設備環境を好むケースもある。
※4 ロマ統合政策が「西欧」と「東欧」、EU加盟国とEU非加盟国の間で不均等に課せられることの問題もある。
なぜ「学級隔離」が起こるのか?
そうした社会環境と政策指針を背景にしてロマ児童への教育が行われる。あらためて、なぜそこで「学級隔離」が起きるのだろうか。ここでは、3つの背景要因が考えられる。
まず、ロマ社会と主流社会の相互不信的な状況の下で、ロマ児童を教育課程に統合しなければならないという葛藤が存在する。つまり、相互不信にもとづく衝突が学校で極力起こらないようにするために、特殊学級を編成してロマ児童だけの学校・学級とそれ以外の学校・学級に分けることになる。主流社会の制度にロマ児童が取り込まれながら、しかし、他の児童との接触は極力避けるという方法がとられる。前稿の「学級隔離」事例では、ロマ児童の保護者たちは自分の子どもが特殊学級に編入されることに同意していた。それは、通常学級に編入されることでロマ児童が通常以上の敵意にさらされることを恐れたからでもあるだろう。ロマ児童のみの学級であれば、非ロマ児童による悪影響をこうむらないと考えたかもしれない。ここでは、主流社会に対するロマ社会の恐怖・敵意と、ロマ社会に対する主流社会の恐怖・敵意の衝突を回避しつつ、アリバイ的にロマ児童への教育は実現できるという解決策として、「学級隔離」が見出される。
2つ目に、ロマ統合という目的と、ロマに対する差別意識のいびつな結合がある。知的障害や言語未習得を理由に特殊学級を編成することそれ自体は、欧州人権裁判所の判決でも否定されていないかった。しかし問題とされたのは、特殊学級を作る目的と、実際にロマ児童を編入させる手段の間の整合性がとられていなかったことだった。知的障害を持つ子どものための学級でありながら、知的障害を持っていない子どもを誤って判定するテストや判断があったこと。言語が話せないことが特殊学級編成の理由でありながら、その基準が明確ではなく言語習得のためのカリキュラムも十分でなかったこと。いずれも特殊学級設置の目的と、編成の手段の間に整合性がとられていなかったため、合理性のない間接差別と判断された。
ロマに限らず、通常学級に適応しきれない児童への教育のため、特殊学級は一つの手段となりうる。しかし、編成の前提に、「ロマ児童は知的発達が遅れている」とか、「もともと怠惰で学習意欲がない」、「どうせ言語は分からない」といった差別的なバイアスがかかっていれば、統合のための手段であるはずの特殊学級が、当初の目的から外れて隔離という結果だけを残すことになりかねない。
3つ目に、ロマ児童への教育は、貧困の解消および労働市場への統合のためのステップであるという認識がある。言いかえれば、既存の主流社会でロマが適正な労働力として働けるための手段として教育が位置づけられており、ロマ児童の特性に合わせた教育や、ロマの独自性を反映した社会を作るための教育という位置づけがなされていない。たとえば、先ほどから言及してている「ロマ包摂の十年」イニシアティヴは、あまりにも数量的評価に重点を置いたことで、単純に教育課程に進学する児童の数や予算の多寡などで評価することになり、教育の中身があまり考慮されなかった(Miskovic 2013, pp.6-9)。そうした基準からすれば、既存の教育に適応可能なロマ児童は進学できるが、そうでない児童は「隔離」され、やがてドロップアウトすることになる。
これら全てのことから、既存の社会のあり方を前提として、教育によるロマ統合を進めることの不可能性に行き当たる。ロマ社会と主流社会の相互不信があり、教育課程でバイアスがかかり、ロマ児童の特性に合わせた教育がなされなければ、ロマ児童にとって教育は意味がないという認識は裏付けられてしまう。つまり、白い目で見られながら一生懸命学校へ通っても大した教育は受けられず、受けたところで卒業後により良い仕事が得られるとは限らない。教員の方もロマ児童に対するパターナルな保護意識はあっても、子どもたちから学ぶということは少なく、悪くすれば差別的バイアスにもとづく扱いをしてしまい、「学級隔離」へと至る。
どうすればそのような教育環境を変えることができるのか。欧州人権裁判所で出された複数の判決の後でも、ロマ児童の教育課程への統合は各国で進んだとは言い難い。他方で、「学級隔離」を解消しようとする方針が共有されたことで、各国のロマ児童への教育方針は変化した。クロアチアで採択された「2020年までのロマ統合のための国家戦略」では、ロマ児童のみの「学級隔離」は生徒が受ける教育の質を下げ、教員のやる気も下げ、生徒がポジティヴな自己評価をできなくなるとして、明確に否定された。加えて、可能な限りロマの幼児を幼稚園・保育園などの「就学前教育」に通わせるという方針を出した。つまり、より早い段階でクロアチア語や主流社会と触れる機会を持つことで、小学校教育へ入りやすくするという狙いである。また、ロマ児童が多い地域では、ロマにルーツを持つ大人が教育アシスタントとして支援する方法などが推進された。ただし、こうした方法が上述の背景要因に対してどれほど効果を持つかは未知数である。
マイノリティ児童への教育が問うもの
「学級隔離」の問題は、個々の児童がうける教育内容だけではなく、それが社会のマイノリティに対する視線を教育現場で再構成し、差別的な構造を再生産してしまうということにある。「隔離」された児童はそのサイクルの下で教育を受ける。個々の教員がどれほど真摯に子どもたちと向き合っても、その「隔離」構造とそれを取り巻く社会環境が、教育を受ける子どもたちの自己評価として内面化されてしまう恐れがある。
難しいのは、ロマの子どもや保護者たち自身が、ロマだけの学級を望むかもしれないということである。ロマを取り巻く人々のバイアスが強く、多文化教育制度が確立されていない時、隔離学級は一時的な避難所となるかもしれない。この人々に対する社会の風当たりが強いほど、そうした望みは強くなるだろう。また学校側も、悪意をもって子どもたちを特殊学級に編成したわけではないだろう。状況が許さないため、仕方なく、そうした方が本人のためだからという配慮が働いた可能性は高い。
しかし、そうした善意の配慮が差別的な構造を再生産する要因になる。一時的な避難所は、永続すれば隔離所になる。もしロマ児童だけの特別な教育を行うのであれば、そのためのカリキュラムが必要であり、それを実施するための理解を伴う人、適当な教育環境、適切な方法が準備されなければならない。何よりも、子どもたちが卒業した後に、マジョリティ社会の中に統合されていく道筋をつくらなければならない。だが、それは学校だけが、あるいは子どもや保護者たちだけが作るものだろうか。
社会統合とは何か。統合される「客体」の、既存の労働市場、生活様式への適応にとどまるのか。ロマやナショナル・マイノリティに限らず、特殊学級を卒業した子どもたちは、通常学級を卒業した子どもたちと全く同じように社会に参入できるのだろうか。特殊学級で学んだ子どもたちにスティグマを負わせるような社会構造は存在していないのだろうか。その構造を解消することこそ、社会統合という目的によって課せられた課題ではないのだろうか。すなわち、あらゆる自己たちがそのつど唯一の自己として既に/常に十全でありながら、関係の網を紡いでいくことが社会統合ということではないだろうか。
ロマの子どもたちに相対する教育者は、その子たちの(広い意味での)言語を理解するようになるだろう。その子たちが育ってきた環境に触れるだろうし、その子たちが当たり前のものとしている文化、意識を知る可能性に開かれる。それは、別のナショナルな文化的背景や障害を持つ子ども、あらゆる子どもに対して同じだろうが、その具体的な内容はまた違う。その違いをいちいち踏まえることは、特別支援教育を定式化された「教育」ではなく、一人一人の自己の唯一性と向き合うものにしていくことだと思う。もっと言えば、教育者の側も子どもと向き合うことによって、特定の社会環境や内面化された規範に限定される自己とは、また別なる自己に出会う。
③では、欧州におけるロマ児童への教育が直面した問題を踏まえて、日本での外国にルーツを持つ子どもたちへの教育は、どのような方向性をとり得るのか考察してみたい。
山川卓
マイノリティと特別支援学級:欧州でのロマ児童「隔離」事例からの考察①
マイノリティと特別支援学級:欧州でのロマ児童「隔離」事例からの考察③(完)
参考文献・データ
- ハンコック、イアン (2005)『ジプシー差別の歴史と構造 : パーリア・シンドローム』(水谷驍訳) 彩流社
- Babić, Dragutin (2012) “The Education of the Roma in Croatia: Statistical and Empirical Insights”, in Romana Bešter, Vera Klopčič, Mojca Medvešek, Formal and Informal Education for Roma, Ljubljana: Inštitut za narodnostna vprašanja, pp.99-109.
- Council of Europe (2012) Estimates on Roma Population in European Countries, Strasbourgh, July.
- European Commission (2012) An EU Framework for National Roma Integration Strategies up to 2020, COM(2011) 173/4, Brussels.
- Hancock, Ian (2013) “The Schooling of Romani Americans: An Overview”, in Maja Miskovic (ed.) Roma education in Europe : Practices, Policies, and Politics. London: Routledge, pp.87-99.
- Hera, Gabor (2017) “The Relationship between the Roma and the Police: a Roma Perspective”, Policing and Society, 27(4), pp.393-407.
- Kaleja, Martin (2014)“Selected Questions about Socially Excluded Roma People in the Context of Education”, in Hristo Kyuchukov, Martin Kaleja and Milan Samko (eds.) Linguistic, Cultural and Educational Issues of Roma, Muenchen: LINCOM, pp.124-140.
- Kushen, Robert (ed.) (2015) Roma Inclusion Index 2015, Budapest: Decade of Roma Inclusion Secretariat Foundation.
- Pew Research Center (2016) Eastern European Survey Dataset,<http://www.pewforum.org/dataset/eastern-european-survey-dataset/>
- Ured za Ljudska Prava i Prava Nacionalnih Manjina (2012) Nacionalna Strategija za Uključivanje Roma, za Razdoblje od 2013. do 2020.Godine, Zagreb.
関連記事:
コメントをお書きください