前口上


知の実践の場として、大学の外に身を置くこと

 ここ数年、おおまかに2000年代から現在までですが、大学院生、あるいはポスドク研究者(*正規雇用に就いていない博士号取得者)として大学に身を置くなかで、大学だけを拠点にして研究を継続・発展させていくことに違和感と限界を感じてきました。僕たちのそれぞれは、国際関係論、政治学、社会学、歴史学、思想史など異なる学問領域の研究していますが、共通して、大学の外へ出て知と言葉の力を開くことを模索しています。「さぶとら」はその試みの出発点となる活動です。「さぶとら」の意味については、トップページの紹介文をご参照いただければと思います。

 

大学で感じてきた違和感や閉塞感の原因には、いろいろあります。ポスドク問題に関して、一般的な数字をあげれば、2008年以降ポスドク数は減少傾向にありますが、いまだに15,000人あまり存在しています。また、博士課程進学者数も減少傾向にあるとはいえ、学位取得後にポスドクになる予備軍として潜在していることを考えれば、ポスドク問題は一筋縄では解決しないものと考えられるでしょう。また、こうした一般的な数字が示すことだけでなく、研究環境をめぐる問題も深刻なものとして挙げられるでしょう。研究者たちにかかる行政負担、うつ状態に追い込まれながらも大学ポストを得るために研究を続ける研究者たちの姿、研究予算の制約のなかで研究を続け、国から研究予算を取ることを始終考え続けてしまう状況、誰が優秀なのかを競い合って対話が成立しない学会の状況を目にすること——これらは大学制度の欠陥や大学院政策の負の遺産の問題であることはもちろんです。

 

しかし、僕たちが感じてきた違和感や閉塞感のもっと深い原因は、知や言葉の力がこれらの状況のなかで徐々に衰えてしまったことにあると考えています。

 

 こうした知的探求をつかさどる場所において、今後も混乱は必至であると言えるでしょう。日本の大学の国際競争力の低下が問題視され、また、4割近くの私大を中心に問題となっている定員割れをめぐって、大学に投下される国家予算を戦略的・効率的な枠組へと転換していく方向性が国家行政や産業界の主導で示されています。今後、2018年をさかいとして、大学の再編・統廃合が進み、研究者への行政的負担もより増えてくることでしょう。また、数年前に新潟大学で問題となったように、大学研究費の配分があまりに少ないという事態も起きており、多くの研究者は、研究に関わる支出を自腹でまかなったり、科研費を申請し、国から予算を配分してもらうための研究競争に邁進しています。

 

 さらに、研究資金の獲得競争が激しくなるなかで、研究力がいかに測られるかといえば、論文数はもちろん、どれだけ(国際的な)影響力のあるジャーナルに掲載されたか、また、どれだけ論文が引用されたかなどが測定基準となります。研究の質を数値化することの効果を一概に否定するわけではありませんが、研究力、あるいは知の力を数値化する評価方法がデフォルトになっていくと、そうした行政的評価基準にいかに能率的に適合するのかに長けた研究が評価されやすくなるという問題があるでしょう。

 

 かつて、加藤周一が『日本文学史序説』で述べたように、「あたえられた社会の階層的構造と、それを支える価値の体系を、そのまま受け入れて、下の階層から上の階層へのぼってゆくこと」を「出世」といいます。現実に、いまの研究者に求められていること、とくに「下の階層」にいるぼくたちのような若手研究者に求められることは、まさしく加藤が言う「出世」なのです。

 

 「出世」を遂げるために、若手大学研究者は、現在進行中の資金獲得競争や研究評価の測定基準に積極的に適合していかなければならない。もちろん、こうした研究予算獲得競争のなかから優れた研究が生まれてくることを否定はしません。しかし、短期間で実現可能な研究目標や論文のテーマ設定を研究活動の中心に位置づけ続けることしか、「下の階層から上の階層へのぼってゆく」回路がないというのは、インプットとアウトプットを機械的に反復する先にしか評価しうる成果は生まれないという前提に立っていることと同じでしょう。

 

 こうした状況のなかで、とくに人文社会科学がささやかに反抗しようとする手段は、ちょっとだけ研究の「色」を出すことでしょう。たとえば、研究体制を国際色豊かにしてみるとか、理論と実証研究を組み合わせて学際性(学問領域の横断)を際立たせるとか、あるいは、新奇な議論を輸入して大々的に一般化してみせようとするとか、一見学問的に見えて実はジャーナリスティックな話題性を喚起するような「研究」の発信のあり方が一般化していきます。しかし、その実、研究予算を獲得できたとしても、予算消化の行政負担がのしかかり、多忙化する研究者間の連携がままならず、とりあえず研究テーマにかするような研究内容を雑多に集めて「研究成果」として発信するということも多々生じます(もちろん多忙のなかで緊密に連携して、優れた研究成果を発信しているプロジェクトもあります)。

 

 僕たちのような若手研究者に将来的に期待されるのも、このような、ジャーナリスティックで、行政負担をそつなくこなし、プロジェクトを取りまとめ、研究成果らしき意見を集約し研究業績として発信するという役割なのです。さらには、必要とあらば(というか積極的に)国際的に連携し、現地へ出向き、研究報告をこなすという高いフットワークと社交性の力を示さなければなりません。こうした状況のなかで生き残っていくためには、大学院は、一種の自己啓発セミナーとならなければならないでしょう。研究はあくまで「アカデミズム」という競争社会で生き残っていくための道具にすぎません。

 

 知の世界は、「道具主義」的な価値観による侵犯を許したと言えるでしょう。こうした状況において、自らの研究が大学という環境下で、気づかぬうちに以上で述べたような状況に影響されることがないと言える若手研究者がどれだけいるか、僕たちにはわかりません。しかし、少なくとも言えることは、人間はそこまで強いものだろうかということです。アドルノとホルクハイマーというドイツの哲学者らの『啓蒙の弁証法』という有名な著作がありますが、そこでは徹底的に道具主義に支配され、自らを道具として支配的な価値に適合させていこうとするプロセスが生み出す排除と暴力が描かれています。現在の若手研究者たちが置かれた状況も、これと変わりありません。排除のメカニズムをベースとして優れた研究成果らしきものを量産していく——知をめぐるこうした状況において、とくに若手研究者たちは苦しんでいるのです。

 

 「知的探求」と「知的探求を枠づけるルールを遂行すること」——これらは決定的に違うように思います。今日、大学に求められているのは、徹底して後者であり、前者ではありません。こうした状況下で矢継ぎ早にアウトプットされるジャーナリスティックな研究成果に社会的・公共的な意義があるのだろうか——僕たちは少し立ち止まって考えてみたい。そのために大学の外に身を置きながら知的探求を実践していくことができる場所が必要ではないかと思うのです。


「知」のあり方を問い直す探求へ

 このように言うと、「大学での研究などやってられるか!」ととられるかもしれません。確かに、そうした不満というか絶望はあります。しかし、研究をするうえで、自らの知的探求や目的に対してその環境が与える影響に対して敏感になりつつ、知的探求環境の多元化を促していくことがもっと重要であると考えています。

 

 「知的探求環境の多元化」とは何でしょうか?これは、知と言葉を発信していく場所の多元化を指すだけではなく、新たな知を見出そうとする場所の多元化というものを含みます。幸運なことに、現代では、知の発信の場はネットメディアや動画サイトなど量的には多元化したと言えるし、また、中には重要なテーマについて手堅い視点や情報を発信している質的に優れた人々がいます。

 

 しかし、多くの場合、政治・経済・社会的領域における出来事についての情報を集約・加工して、共有しやすい視点として提示するというあり方が主流です。その点、新たな知やヴィジョンを提示していくという意味での営みの多元化は、まだまだ発展途上であるように思います。ここで「知」とは、現実世界の実相を抽象的かつ的確に捉えることだけでなく、それが相手の見方を変え、新たな実践に結びつけることができるものを指しています。チャールズ・サンダース・パースという20世紀初頭のアメリカのプラグマティズム哲学者の言った言葉でいえば、何かを知ること(情報)・何かを考えること(思想)・何かを行うこと(実践)が一体のものとして絡まり合うものが「知」と言えるかもしれません。ここには不可避的に実践の可能性の広がりが含意されています。また、逆に、そうした実践の可能性の広がりを提示することで、思想や何かを知ることのあり方を変えることができるでしょう。

 

 この意味で、「知的探求環境の多元化」は、「知ること」、「考えること」、「実践すること」の間をダイナミックに往還する探求のあり方が社会へと開かれていることを意味します。しかし、現在の大学という環境において支えられた知では、このダイナミックな往還を生み出しづらい状況にあります。いくら研究競争を強化して、これまでの予算配分の「護送船団方式」を改革しても、この連環を強化することができるのか、大いに疑問です。先にも言いましたが、「知的探求を枠づけるルール」をうまく遂行した知が、「知ること」「考えること」「実践すること」の連環を開くという保証はどこにもありません。

 

 大学という知的探求環境から距離を取りつつ、一つの多元的な項として活動をすること——このような活動は、今日において新たな「思想の科学」の一つとして求められる研究のかたちであるように思います。いいかえれば、大学の外での知的探求活動によっていかなる「知」の連環が生み出されてくるのか?この問いに取り組むことが重要であるということです。「知」のダイナミックな連環を生み出す場所を求めて社会という場に身を置くとも言えるでしょう。


生きることは苦しい…のか?

ここまで主に、大学における知のあり方というものを批判的に見てきました。とはいうものの、「生きづらい」「しんどい」という不安や徒労感がこうしたことを言うことの動機の大部分を占めていることも確かです。

 

 ですが、この「生きづらさ」は、なにもポスドク研究者に限ったことではなく、現実社会に生きる多くの人々が共有するものであるとも思います。「いや、そんなことはない。社会を生きること、働くことは楽しいものだ」と考える方もおられるでしょう。そのようにもともと充足して生きておられる人について、僕たちの活動は何も言うべきことを持たないことは確かです。

 

 というのも、先にも述べた通り、僕らの実践は「知ること」「考えること」「実践すること」を新たなかたちでいかに展開できるのかということを問うものです。そのためには、社会生活の根底にある「不安」を否定することなく、それに向き合っていくことが必要だと考えるからです。なにか息苦しい、なにかおかしい、むかついてしまう、何が生きる目的なのか、何が公共的に重要なことなのか、何が自分にできるのか……これらの不安に規定された問いに向き合いながら、それを問い返していくこと——そうした実践にとって、「不安」を受け入れることは大前提となると考えられます。

 

 だから、たとえば“適度に楽しく”というような見方に僕たちは共感できず、また、そうした見方に今日どれほどの一般性があるのかを疑っています。「不安とともに、不安を超える」、こうした姿勢が社会的現実を生きる多くの人にとってリアリティのある構えではないでしょうか。もちろん、“適度に楽しく”路線だけがそうした不安に目を向けないと言うのではありません。よりシリアスな問題としては、政治論議の場面でも、そうした不安をある種利用するかたちで危機や敵対政治を煽り、本質的に「不安」に対処しない状況があらわれています。

 

 「不安とともに、不安を超える」ためには、不安の社会的要因・心理的要因を探っていく必要があると同時に、その要因となった環境や社会的文脈を変えていく必要があるでしょう。それを具体的な社会環境のなかで実践していくこと、様々な人々が考えや実践を持ち寄って、どうしたら不安を超えていくことができるのかを考え合うこと——知の力・言葉の力を回復するためには、そうした地道な活動が必要となるでしょう。

 

逆にいえば、知の力・言葉の力は、可能性が見えない状況、つまり、先行き不透明な不安のなかで制限されてしまうものだと言えます。それゆえ、“さぶとら”のミッションは、新しい可能性を多様な言論活動・社会実践を通じて理解しようとするものです。不安ベースの認識・自己理解・社会との関わり方を実践と言論の相互作用のなかで解消していくこと、知と言葉の力の回復の鍵はここにあるというのが、“さぶとら”の活動を支える仮説です。しかし、このとき「不安」というテーマは、新たな「知」を開く際の重要なリソース、あるいはパートナーとなるでしょう。専門知の客観性や権威で「不安」を「幻想」のように扱うのではなく、「不安」に寄り添う形で、それが実際に解消され、生きていく力を得ること、その体験が知の力を保証する新たな基礎とならなければならないと考えます。

 

 一部の統計調査では、多くの若者が「現状に満足している」という回答をするという結果も出ています。しかし、それは未来に展望がないことと表裏一体の結果であるとも言えます。また、「満足している」人々の影で、「生きづらさ」や「不安」を抱える少なからぬ人々がいることも確かでしょう。生きていくための「希望」がここまで疑われながら、それが強く求められるという時代も歴史的にみて珍しいのではないかと思います。とはいえ、その際に、「知」は、「これが希望だ!」という前に、不安に寄り添うことを何よりの足場としなければならないと考えています。漠然としつつも確かに感じられる「不安」に寄り添って言葉を紡いでいく、「知」のあり方を考えていく、このことが重要でしょう。

 

 しかし、このことは、「生きることは苦しい」ということを一般化することではありません。むしろ、「生きることは苦しい…のか?」と問うてみることが重要なのです。「生きづらさ」をいったん認め、受け入れたうえで、それを乗り越える力を「知ること」「考えること」「実践すること」のなかで少しずつ獲得していくこと。「生きづらさ」の感情を追認して自分を制約するのではなく、「生きづらさ」から始めること。そのために、受け入れる強さと乗り越える強さを獲得する体験が今後の社会に生きる人々にとって重要なのではないでしょうか。この体験の場を社会に対して開いていく知の場を形成したい——いかにしてそれが可能だろうか?このことを「さぶとら」を通じて確かめていきたいと思います。

 

 社会を「生きづらい」場ではなく、「生きるに値する」場所にしていくことが、不安を受け入れる強さと乗り越える強さの先に見出される目的であると言えるでしょう。しかし、何か単一の社会像を想定しているわけではありません。そもそも、「生きるに値する」社会とは何でしょうか?この問い自体、僕たちの実践のなかで確かめなければならないものです。少なくとも、それについては一人ひとりの答えがあるに違いありません。いいかえれば、それについての答えをもつ人々が多い社会が「生きるに値する社会」と言えるのでしょう。しかし、一人ひとりが切り離されたかたちでしかその問いへの答えを得られない状況は、根本的な解決にはならず、自己満足となってしまうでしょう。

 

 だから、僕たちは、端的に、“それまで疎遠だった人々や物事が出会って、それまでの疎遠な関係ではなくなってしまうこと”を「生きるに値する社会」の不可欠の条件とみなします。簡単に言えば、他人が他人とは思えなくなることが「生きるに値する社会」を再構築する鍵になるということです。あるいは、自分の不安を受け入れ、それを乗り越える力を与える遭遇体験——この遭遇には人だけでなく、アイデアやモノ、場所との遭遇も含まれるでしょう——が核となると言えるでしょう。

 

 しかし、この見方は、あくまでまだイメージに留まるものです。しかし、それは詩的なイメージでもあります。不安一色の目で世界を見るのでもなく、敵対的図式のみで世界を見るのでもなく、また“楽しく適当に”という眼鏡をかけて世界を見るのでもない遭遇体験の可能性のなかから世界を眺めていくことです。遭遇体験は、おのおのが自らのなかに言葉にしがたい「他者」を抱えることです。自らが自らに同化しえないものを持つこと、このことが自己を他者へと、また新たな現実へと結びつける回路となるでしょう。かつて詩人パウル・ツェランは、遭遇体験のイメージを「子午線」と表現しました。それは、失われた関係が境界線を越えて伸びていき回復されるイメージです。知的探求が関係の喪失を浮かび上がらせると同時に、その回復の可能性の道筋を開くこと——そこに遭遇体験の鍵があるように思います。疎遠だったものが遭遇するとは、喪失と関係回復を同時に理解させてくれる体験なのではないでしょうか。初めて会う人や行った場所にしばしば感じる「なつかしさ」は、そうした遭遇体験でしょう。しかし、それは未だ実現されていない可能性に開かれる瞬間でもあるのです。


出会いのプラットフォームづくり—遭遇から「共生社会」へ

 話がだいぶイメージのほうへと飛んでしまいました。とはいえ、以上のことから、僕たちの実践は、社会で考え、活動している様々な人々との遭遇体験なしにはありえないと言えるでしょう。

 

 何か新たな実践を展開している人々、考えを持っている人々、情報を発信している人々、それらの人々と持続的に関わり合い、関係のネットワークを広げていく場が必要になるでしょう。

 

また、そうした持続的な関係性の構築と拡張のなかから、新たな「知」のあり方を提起していく必要があるでしょう。見通しとして、それは、「遭遇」「関係性の拡張」を通じた「共生」の実現という方向性を確かなものとして示すものとなりえます。

 

そうした遭遇を関係性の構築につなげていく時に、僕たちが頼りとするのは「より繊細な」知であり、言葉です。知や言葉において「繊細」であることとは、自己の言葉を超えて存在すると見なされるような世界や意味に絶えず抵抗しつつ、「自己」が語りうる言葉との共鳴を抜きにしては理解しえない世界があることと結びついています。それは、「異質な」他者と出会った時に、単に「異質」という枠にあてはめることで共存するのではなく、「異質」であるからこそ共有することができる世界や社会についての明晰な知や言葉を見出すことです。この点で、繊細さは、他者のそうした言葉との遭遇から新たな世界が開かれるためのか細くも頑強な命綱を表現しています。この意味で、「生きるに値する場所」は、知と言葉と深く共鳴しながら理解される場所でなければならないでしょう。そのために、まずは、自分たちの遭遇体験を繊細な言葉によってつむぐこと、その体験から人々をつなぐための場を作り上げていくこと、この2つを通じて「共生」を探求していくことになるでしょう。

 

この探求を通じて、知や言葉を開放的な社会の形成と結びつけていくことができるのではないかと考えます。また、一時の完結した試みにとどまるのではなく、社会をより開かれたものにしていく実践に絶えず寄り添うことによって、知と言葉の力を人々の関係の領野へと開いていくことに意義を見出すのです。このなかで、「さぶとら」の実践が、社会の解放とともにあることへの共通感覚を再構築しうる一つの試みでありたいと考えています。

20181015

「さぶとら」一同