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BTSのTシャツの件(2)

韓国の大人気グループ 防弾少年団(BTS)のメンバーが「原爆Tシャツ」を着ていた!というニュースに憤慨した人たちがテレビ局に抗議しまくり、結果、BTSのミュージックステーションの出演が急遽中止され、さらに紅白の出場も白紙になる、という騒動からしばらくたった。問題となったTシャツは「植民地からの解放」を祝福するものであり、その中で原爆は大日本帝国の崩壊のシンボルとして用いられている。その一方で、原爆は民間人大量虐殺という戦争犯罪の象徴でもあり、制御不能に暴走する科学の象徴でもある。ゆえに、ここでは「原爆」をめぐってはシンボルの正負の競合が生じ、さまざまな解釈や憶測を生まれることになる。

 

その意味で、BTSの事務所側が素早く謝罪コメントを出したのは正しい。事実、これ以降自体は沈静化する。

BTSの人気は衰える兆しさえ見せていない。「紅白歌合戦」というローカルイベントへの出演がなくなったところで、ワールドワイドに活躍する彼らにとっては特には痛くもかゆくもないだろう。しかし、彼らのTV出演を心待ちにしていたファンたちにとってはとても残念なことに違いない。

 

BTSを拒絶したものの正体は日本社会に巣食う「嫌韓バイアス」とでも言うべき偏見であるように思う。どうやら日本においては「韓国は日本を嫌っているはずだ」という謎の「思い込み」が幅を効かせているらしい。こうした偏見は長い時間をかけて蓄積され、染み付き、社会を蝕んできたものだ。なので、日本社会がその偏見から自由になるには、多くの時間がかかるかもしれない。このエッセイは、そうした偏見を少しでも減らすべく書かれている。

 

今回は、BTSシャツが日本で引き起こしたいくつかの典型的な反応のうち、影響力が高いと思われるテレビ芸能人の発言を取り上げ、批判的分析を加えたい。

ここでは、ロンドンブーツ1号2号の田村淳が投稿した一連のツイートを問題にしたい。田村淳は11月11日19時頃に次のようなツイートを投稿している。(このスクショは11/13(火)の12時頃のもの。)40時間程度のうちに「いいね」が2万を超えている。相当程度の共感を獲得したものと推測できる。

まず1〜2行目。繰り返しになるが、あのTシャツはそもそも「原爆を称讃」するものではない。それはあくまでひとつの解釈、というか曲解に過ぎない。次に、下から2行目。ここで大きな論理的飛躍が起きている。「そこまで忌み嫌う国で」というところ。ろらく、田村の頭の中はこうなっている。

 

a原爆のTシャツを着ている!(←曲解)

b日本のこと嫌いなんだ!(←間違った類推)

c嫌いなくせにどうして日本に来るんだ!(間違った疑問)

 

田村は「原爆」が象徴するもの(=解放)に想像力は及ばないようだ。そこをスルーしてあっさり判断bに向かう。そして一旦、bの立場にたつと、そこからあらゆる誤った疑問、攻撃性の高い言動、嫌韓的言動、ひいてはヘイトスピーチへが展開されることになる。たとえばc「嫌いなくせにどうして日本にくるんだ」のような。

 

bという「結論」は、たとえばBTSメンバーが頻繁に日本を訪れファンと交流していること、日本語を練習し日本語バージョンの曲を発表していること、メンバーたちが日本のファンへの愛情と信頼を繰り替えし表明しているという事実と明確にバッティングする。「BTSは日本を嫌っている」という結論bと、BTSの現実の振る舞いの間で認知的不協和に立たされた人間が、自分の間違った判断から1ミリも動かないという決断をした際に、bはcへと跳躍することになる。同時に「彼らは日本を嫌っているにちがいない」という偏見がより強固になる。

「そこまで忌み嫌う国で何故ライブをしたいと思うのか」と田村はいうが、「忌み嫌」っているという判断それ自体が重大な誤りである。故に、これは疑問ではなくて「偽問」だ。

にも関わらず、この偽の問いかけには「日本人を騙して金儲けするため」という理屈がちゃんと用意され、かくしてBTSをひとつの結節点とする嫌韓言説体系が完結するのである。

 

この嫌韓言説体系というのは、「韓国は日本のことを嫌っているに違いない」というバイアスがあってこそ成立する。そうした先入観があるところに、問題のTシャツが情報としてインプットされるや、たちどころに独立祝福愛国Tシャツは「原爆Tシャツ」として解釈され、「やっぱり韓国人は日本を嫌っているんだ」な、という形で、バイアス検証的に「敵意」が検証されることになる。どうして日本ではこんな馬鹿げたバイアスが浸透しているのか、それはこのエッセイの射程を超える。白人崇拝とアジア蔑視が表裏一体となった謎のコンプレックスが「日本人」アイデンティティの核であった時間が少し長すぎたのだろうか。知らんけど。

 

いずれにせよ、田村のツイートは論理的も歴史認識的にもダメなところが目立つ。そしてその論理の歪みは「韓国(韓国人)は日本(日本人)のことを嫌っている」という偏見によってもたらされている。いつまでも自国の歴史を学ばず、いつまでも隣国と信頼関係を結べずにいるのは戦後日本社会の本当にダメなところだと思うが、田村のツイートというのは、そのダメ感をしっかり体現しているように思う。一見丁寧で、物腰柔い、相手を尊重しているかのような「問いかけ」に満ちているところも含めて。

 

もっと勉強して、と言いたい。何がウケるか、ではなくて、何が正しいのか、どういう経緯が背景にあるのかをしっかり考えてほしい。

田村はもうひとつツイートを投下している。それについても同じく批判的検証を加える。

「ナチス帽」の件、「原爆T」の件、そのどちらもがただの「言いがかり」に過ぎなかったのであるが、11月13日、BTS事務所は公式に謝罪を発表した。

 

「Big HitはBTSはじめ、当社所属の全アーティストの活動において戦争および原爆等を支持せず、これに反対し、原爆投下により被害に遭われた方を傷つける意図は一切なく、今後もないことを明らかにいたします。」

 

「Bit HitはBTSをはじめ、当社所属の全アーティストの活動において、ナチスを含む全ての全体主義、極端な政治的傾向を帯びた全ての団体および組織を支持せず、これに反対し、このような団体との関わりを通して過去の歴史によって被害に遭われた方を傷つける意図は一切なく、今後もないことを明らかにいたします。」

 

いずれもポイントをおさえた的確な謝罪である。声明文の全文はハフポストにも掲載されてるので、どういう経緯で「ナチス帽」や「原爆T」をメンバーが着用することになったのか気になる方は参照されたい。

 

「画一的な全体的教育システムを批判」するためのパフォーマンスにナチス的なコスチュームや小道具が用いられたことをもって「ナチス礼賛だ!」と騒ぐのは、どう考えても過剰反応である。原爆の非人道性を告発する映画に原爆が炸裂するシーンが含まれるからといって「この映画は原爆を正当化している」と苦言を呈する人間がいたとしたら、よほどの狂人であるか何か悪意をもって作品の揚げ足をとろうとしているかのどちらかであろう。

 

「ナチス」「原爆」そのいずれもが揚げ足取り的な些細なクレームであることはほぼ明らかであると思うが、それにしても田村の語りっぷりには問題が多い。

 

田村は「僕は徴用工や慰安婦のTシャツは着ない」と書いている。これを最初に読んだ時、いまいち意味が分からなかった。実際、元慰安婦をサポートするTシャツというのはちゃんと存在している。若者向けの服やアクセサリーを展開するMarymondというブランドは売り上げの一部を元慰安婦女性や性暴力被害者への支援に回すことを公言し、高い認知を得ている。(Marymondに関しては、人気KpopグループTWICEのメンバーがMarymondのTシャツを着用していたことが日本語圏で取り沙汰され始め、それを理由にTWICEを「反日」認定し、BTSの次はTWICEだとばかりに紅白出演を中止に持ち込もうとするキャンペーンも展開されることになる。記事はこちら。想像を絶する胸糞悪さである。)

 

何にせよ、ファッションを通して歴史に置き去りにされた人たちへの認知が高まるのは社会的に大きな意味を持つと思う。元慰安婦女性をサポートしたり、徴用工の訴えを支援するメッセージTシャツがあるのなら、それはとても良いことだと思う。慰安婦も徴用工も、どちらも戦前日本国家の時代に大きく人生を歪められた人々であり、彼らへの関心が国境を超えて広まることは日本人の意識改善にも大きく寄与するであろうからだ。

 

もちろん、田村はこうは考えないだろう。「徴用工や慰安婦のTシャツは着ない」とわざわざ語る田村の見立てはおそらく次のようになっている。

 

原爆=日本人が酷い目にあった。→原爆を称賛するようなシャツをわざわざ着るBTSは日本が嫌いに違いない

慰安婦/徴用工=朝鮮人が酷い目にあった→その被害を称賛するようなシャツを私(田村)はわざわざ着ない。

 

繰り返しになるが「そもそも」原爆は日本人が酷い目にあったことの象徴ではなく、朝鮮半島を支配/統治した大日本帝国の崩壊を象徴する図案として用いられている。そこをスルーした上で、原爆=日本の被害を祝福している、という解釈だけを前面に打ち出すのは論理的にも歴史的にもおかしいことは先にも述べた。

 

そして、ここが重要だが、田村の見立てからは、慰安婦/徴用工は大日本帝国の「被害者」であるという視点が完全に欠落している。原爆被害者も戦前日本国家による動員の犠牲者も、ともにフラットに「被害者」として並置されている。当たり前だが、原爆被害を生じせしめたのは植民地朝鮮でない。一方、慰安婦/徴用工を生じせしめたのは大日本帝国である。キノコ雲=日本の敗戦=解放を喜んでいる人々は、日本人による抑圧を受けていた民衆である。

 

つまり歴史的経緯を考慮に入れるのであれば、「原爆」を称揚することと、「慰安婦/徴用工」を称揚することの間で単純な比較は成立しない。前者は、戦争集結のシンボルであるから別の図案に置き換えることが論理的には可能である。後者はただのゲス野郎の所業である。

 

そりゃもちろん、田村はそんなTシャツは着ないだろう。「慰安婦ザマ〜!」「徴用工イエ〜イww」みたいな図案のシャツをわざわざ着るのは重度のネトウヨくらなもんであって、田村はそういうタイプではない。

 

しかし考えてもらいたい。

 

慰安婦を侮辱したり、徴用工の酷使を称揚するようなTシャツを着ない、と明言するのは、人間として当たり前のことを言っているにすぎない。「私はウンコを頭にのせて町を歩きません」と言ってみたところで、その人物の正常性が担保されるわけではないの同じである。

 

結局のところ、田村は何も意味のあることは語っていない。彼は「BTSが原爆を称賛するTシャツを来ている!」という誤情報に触れ、「BTSは日本を嫌っているのだ」と間違った推測をし、そして「どうして嫌いな日本で何故ライブするんだろう」という間違った疑問に至り、「僕は慰安婦を侮辱するようなものを着ないから、君たちも日本を貶めるようなものを着ないでよ」というバランスと意味の両方を欠いた謎の結論的提案をしただけの話である。

 

田村淳の投稿を批判的に検証してみて、彼が「不愉快」という感覚だけに依拠し、その感覚を歴史的経緯でもって相対化する能力に欠けることが示唆されたように思う。何が不幸かというと、そういった資質の欠如が彼個人の不利益に終始するのではなく、それが日本社会のありさまを相当程度まで反映しているらしい点である。

 

やるべきことは多い。まず「韓国人は日本を嫌っている」などというバカげた偏見の総量を少しでも減らしてゆく必要がある。そのためには、ありきたりだが、歴史をきちんと学ぶことが必須である。しばしば「歴史を忘れた民族に未来はない」とか言われており、ふーん、くらいに聞いてたが、最近の日本社会の状況を見るに、本当にそのとおりだな、と強く思うようになりました。

 

最後に、BTSファンのみなさん、今回の騒動は本当にお疲れ様でした。分厚い偏見の存在にひるむことなく、好きなものは好きでいましょう!彼らの音楽は国境とか言語の違いを飛び越えてゆく力があると思います。みなさんひとりひとりのストレートな気持ちが、この社会に巣食う悪しき偏見から社会を守ると信じています。

(伊藤健一郎)

 

(追記)最近、よく聞いているの”DOPE”。ダンスがキレキレすぎてもはや何が起きているのかわからない。素晴らしい。

関連記事:BTSのTシャツの件(1)

 

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コメント: 2
  • #1

    zz (日曜日, 14 4月 2019 02:36)

    隣国は敵国。

  • #2

    t (月曜日, 03 8月 2020 13:40)

    単純に「原爆は日本人が酷い目にあったことの象徴ではなく〜」って、日本人からしたらそう被害の象徴と思う人も多いと思うし、世界的にもそう思う人が多いんじゃないかと思います。それにtシャツ出してるメーカーも商品説明に「歴史を忘れた民族に未来はない」と書いていたり、騒動の本人もそうツイートしてるって、日本や日本人に向けてのなんらかの感情やメッセージがあると取られてもおかしくないんじゃないかと思いました。まぁ、歴史的背景も大切だけど、田村が言ってんのは他からどう思われるかも同じくらい大切って事じゃないでしょうか?慰安婦や徴用工をなんらかの形でデザインしたtシャツがあったとして日本人じゃなくてもアメリカ人でもヨーロッパ人でもどこの国の人でも着てたら韓国の人達も嫌でしょ?って話じゃない?